砥石城 (といしじょう) (戸石城) (県の史跡)
所在地 長野県上田市住吉 2015.10.12
砥石城 (といしじょう) (戸石城) (県の史跡)
所在地 長野県上田市住吉 2015.10.12
登城ルート
模擬門
砥石城虎口
砥石城跡・標柱
堀切
本城跡腰郭
本城跡虎口・石垣
本城跡
桝形城南堀切
桝形城虎口
桝形城跡
砥石城 本城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【案内・感想】 国道144号線「伊勢山」交差点より西に400m行き、右折100程行くと、砥石城跡・米山城跡駐車場が用意されている[マップコード85 875 850*51](地図)。入り口より登るとすぐ模擬門が建てられている。
そこより500mほど松林の尾根を登ると鞍部に出、右に遊歩道を登ってゆくと、標高788.7mの山頂に砥石城跡があり(地図)、標柱が建てられ、約20m四方の広さで、展望がよい。
砥石城を北に下ると堀切があり、大手門跡の平坦地を過ぎ、約400m行くと三の郭、二の郭があり石垣のある虎口を登ると、広大な本城本郭がある。山の郭の東南下に4の郭がある。
本城より北に下って、約100m行くと堀切があり、標高約825mの最高所に桝形城がある(地図)。北に堀切があり、真田氏居館跡、天白城跡、松尾古城跡が望める。
南西峰続きの米山城と一体をなして使用されたと思われる。
昭和四十四年(1969年)5月15日、長野県の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は明らかではないが、室町時代後期坂城の村上氏が小県方面へ進出する拠点としていた。
天文十九年(1550年)村上義清が武田晴信の軍を大敗させ、世に「武田の砥石崩れ」と称されたが、翌天文二十年真田幸隆は調略を用い独力で攻略した。
やがて幸隆の子昌幸はこの城を居城としたが、天正十一年(1583年)上田城に移った。その後も上田城防備の要害として重要視された。