高峠城 (たかとうげじょう)
最寄地 石川県金沢市柚木町イ69 2017.6.24 8.3
高峠城 (たかとうげじょう)
最寄地 石川県金沢市柚木町イ69 2017.6.24 8.3
登城ルート(緑線は車道)
三ノ坂往来
一向一揆の供養碑
城跡(東側)
西側より登る・虎口
虎口
3・2郭間の空堀
2郭・主郭間の空堀
主郭
高峠城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 金沢城の東約8kmに位置し、金沢市釣部町東部の標高221.3mの山頂にある。
「三ノ坂往来」が城跡横を通っており、加賀から荒山、土山を経由して越中へ抜ける往来の監視の役割を果たしたとも思われる。
【案内】 表記番地より南へ200m行き左折、林道を約600m行くと「直江谷健康の森」駐車場があり(地図)、更に南へ約750m行き、三叉路を右折、100m行くと、「立石の地名について」の供養碑が建てられている。[マップコード122 180 697*23](地図)。
供養碑の西の小山が城跡であるが、葛に覆われ踏み込めなかった。
後日、西側から隈笹を掻き分け登ってみた。3段の郭があり、虎口と思しき土塁があり、東に登ると空堀があった。
一段上に2郭があり、2重とも見える空堀がある。最上段の主郭は隈笹に加え灌木も茂り、撮影もままならなかった。
【歴史】 築城時期など定かでないが、越中福光の土豪・雑賀日向守(安芸守)が城主と云われる。
天正八年(1580年)佐久間盛政が加賀一向一揆の尾山御坊(金沢城の前身)を攻め落としたが、前後して高峠城で、一向一揆との戦いがあったと伝えられる。
天正十一年(1583年)には前田利家の家臣不破彦三直光が城主であったと伝えられる。