壁田城 (へきだじょう)
所在地 長野県中野市大字壁田 2019.9.1
壁田城 (へきだじょう)
所在地 長野県中野市大字壁田 2019.9.1
登城ルート(緑線は車道)
林道終点(駐車可)
最初の堀切
2番目の堀切
北の郭・主郭切岸
主郭・長丘神社
南側の郭
南の堀切
壁田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m(林道終点より)】
【感想】 千曲川右岸の標高489.7mの城山に築かれ、主郭に長丘神社が建てられている。
北側に2条の堀切があり、その間に小郭がある。また主郭南にも郭が2つあったが、その先は草木が多くはっきりしなかった。
【案内】 国道292号線の千曲川を渡った「古牧」交差点より右折しすぐ左折すると、分岐があり右のミヤマ(株)方面に向かう。
約1km行き[マップコード54 747 692*65]、左の舗装林道を約650m行くと終点に着きそこに駐車できる[マップコード54 746 140*81](地図)。
2条の堀切・土橋を過ぎると、北郭があり祠がある。その南に主郭があり長丘神社が祀られ、説明板が建てられている。
主郭西側には帯曲輪がある。南に一段下がって鳥居のある郭があり、深い堀切の先に南郭がある。
【歴史】 奈良時代は火置田(ひきだ)と呼ばれ、蝦夷征討の烽火台があったと云われる。
築城年代は定かではないが、高梨氏に属した山田豊前守により築かれたと云われる。
永禄九年(1566年)山田飛騨守は武田氏に降った。その後は替佐城と共に、上杉氏の飯山城に対峙する武田氏の前線基地となった。小幡上総介信貞が城将と伝えられる。
天正十年(1582年)武田氏が滅亡すると、その後廃城となった。