天堂城 (てんどうじょう)
最寄地 石川県輪島市別所谷町28 2017.6.24
天堂城 (てんどうじょう)
最寄地 石川県輪島市別所谷町28 2017.6.24
登城ルート(緑は殿様屋敷)
説明板
木戸元
空堀入口
空堀
終点平坦地
殿様屋敷
本丸跡・兵庫屋敷跡標識
本丸(物見櫓)跡
天堂城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高90m(木戸元より)】
【感想】 犬伏山(標高333.6m)より北東に伸び、鳳至川に突き出た標高224mの尾根頂上に本丸(物見櫓)がある。本丸跡は生活痕なのだろうか、凸凹している。
標識は3ヶ所に建てられているが、鬱蒼としており明瞭な遺構は少ない。地元の人に聞いてもあまり分からないとの事だった。
【案内】 県道51号線の鳳至川に架かる橋の南に案内板が建てられている[283 614 326*62](地図)。その北約650mの表記番地先に林道入口がある。
林道を約400m西に行くと「木戸元(城門)」がありその先に「空堀跡・殿様屋敷」の標識があり、左に下ってゆくとすぐ先に空堀があり、300mほど行った終点の先に広い「殿様屋敷」がある。
戻って約300m西へ登り、S字カーブの先に「本丸跡・兵庫屋敷跡」の標識がある(地図)。右の比高20mの山に登ると東端に本丸(物見櫓)がある。
【歴史】 室町時代、能登国守護畠山義統(よしむね)の家臣温井備中俊宗が北辺の守りのために築いたと云われる。
温井氏が輪島の領主として史料に初めて表れるのは、南北朝時代の至徳二年(1385年)のことである。
俊宗―孝宗―総貞―続宗―景隆と続くが、天正十年(1582年)織田信長が本能寺の変で横死したことで、能登奪回の野望に燃え石動山衆徒と組み、前田利家と戦って敗れ滅亡した。