三井城 (みいじょう) (三井山城)
最寄地 岐阜県各務原市三井東町4丁目32 2014.11.25
三井城 (みいじょう) (三井山城)
最寄地 岐阜県各務原市三井東町4丁目32 2014.11.25
登城ルート
配水池より城跡を望む
三井山の歴史
主郭跡
御井神社奥之宮
帯曲輪
第一・第二曲輪
第三曲輪
三井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 各務原市水道事業庁舎(表記番地)の50m南に配水池に登る舗装道(車止め)がある[マップコード28 506 170*37]。
徒歩で100m程登ると「各務原市配水池」があり、階段を登って道なりに登ると西の曲輪に四阿が建てられ、その上に主郭跡がある。
主郭跡には案内板が建てられ、「御井神社奥之宮」が祀られている。周囲に帯曲輪があり、本郭跡の東、木道の横に第一~三の曲輪が段々にある。
標高108.8m比高約60mの独立峰で周囲に山がないため、頂上からは各務原市街や木曽川に沿った濃尾平野が一望できる。
三井山は公園として整備され、ハイキングコースがあり、東の第三曲輪より下りると、表記番地南西100mの新境川に架かる橋付近に出る。
【歴史】 築城時期や城主は不明であるが、土岐氏の土岐忠八郎、又は、土岐氏の家臣・三井弥一郎(三井弥市郎)が築城したといわれている。
木曽川の北側1.5㎞程に位置し、古くから砦が築かれ、やがて山城となったようである。築城にあたり、三井山山頂にあった神社を山の下に遷座させたという文献がある(現在は奥宮が建てられている)。御井神社(三井町5丁目8)と天神神社(上中屋町3丁目)がそれにあたるという。
天文十七年(1548年)、美濃国守護土岐氏と守護代斎藤氏との内紛の最中、尾張国の織田信秀(信長の父)に攻められ落城し、そのまま廃城となった。