栃尾城 (とちおじょう) (舞鶴城・大野城) (県の史跡)
最寄地 新潟県長岡市栃尾山田町6−8 2011.10.25 2015.8.16
栃尾城 (とちおじょう) (舞鶴城・大野城) (県の史跡)
最寄地 新潟県長岡市栃尾山田町6−8 2011.10.25 2015.8.16
搦手登り口・説明板
本丸跡
本丸跡・祠
二の丸跡・虎口
二の丸・石動神社奥の院
三の丸跡
三の丸北の空堀
松の丸跡・四阿
狼煙台手前堀切
狼煙台
栃尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【案内・感想】 表記番地横の「栃尾城跡」の標識より南に入り、林道長峰線を約750m行くと小屋のある三の丸登り口がある[マップコード58 208 804*63] (地図)。
更に600m南下すると「栃尾城跡」の説明板がある駐車場に至る [マップコード58 208 352*17] (地図)。そこより東に森の中の登山道(搦め手道)を登り、尾根の手前を右に行くと「中の丸跡」があり、空堀を経て「狼煙台詰郭」の平坦地がある。
登って行くと「大空堀跡」があり、薬師社のある「狼煙台跡」に至る。戻って尾根に出ると大手道とつながり、右に登ると「石動神社奥の院」の祀られた二の丸跡がある。
左に登ると、標高227m比高約60mの鶴城山に築かれた本丸跡があり、説明板や鐘があり、祠が祀られている。東の栃尾の市街が一望できる。
戻って尾根の手前のトイレの裏を北に行くと「松の丸跡」があり四阿が建てられている。そこより下って行くと空堀があり、「三の丸跡」に出る。三の丸は草木で覆われ、径横に碑が建てられている。
三の丸の北に狭い「五島丸跡」がある。そこより木道階段を北に下って行くと三の丸登り口に至る。
昭和三十五年(1960年)3月28日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代に芳賀禅可が築城したと伝えられ、以後整備され付近20余りの砦の中心として威容を誇っていた。古志長尾家の栖吉城と共に中核をなす戦国時代の山城であった。
天文十二年(1543年)長尾景虎(後の上杉謙信)は14歳で中郡の郡司として栃尾城に入城、城主本庄実乃(さねより)の補佐を受け、「義」の信条を持って近隣を制圧した。在城六年、天文十七年(1548年)19歳の時に国主として春日山へ移る。
天正八年(1580年)御館の乱に於いて、城主本庄秀綱は上杉景虎(北条氏康の子)の旗頭として活躍したが、上杉景勝・直江兼続の攻撃を受け落城した。秀綱は会津方面へ逃げた。
その後、上杉景勝の武将が在番したが、堀秀治が太守となると、神子田政友が7千石で守備した。慶長十五年(1610年)堀氏の没落と共に、自然廃城となった。