広瀬城 (ひろせじょう) (田中城) (県の史跡)
最寄地 岐阜県高山市国府町名張1425‐1 2014.6.16 2018.11.25
広瀬城 (ひろせじょう) (田中城) (県の史跡)
最寄地 岐阜県高山市国府町名張1425‐1 2014.6.16 2018.11.25
登城ルート(緑線は車道/青は東郭/緑は西郭)
田中筑前守墓碑
東郭切岸・虎口
東郭・城跡碑
主郭切岸
主郭・城跡碑
主郭西郭間の堀切
西郭
西郭北斜面の畝状竪堀
西郭西の大堀切
広瀬城 西曲輪跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 宮川に注ぐ瓜巣川左岸の標高618mの山頂を中心に東と西の頂上に郭を配した複郭式の城跡となっている。
3つの主要郭と付属の郭から構成され、堀切、畝状竪堀がよく残っている。西端の大堀切は深く竪堀に続いており、見応えがある。
尾根続きの西に寺洞砦(地図:標高689m)があり、更に西に詰城の高堂城がある(地図)。
【案内】 県道471号線より南に350m行った「文化財保護センター」(表記番地)の南の道を東へ約200m行くと、鳥獣除けフェンスが設置されている(地図)。その手前のカーブに駐車できる[マップコード191 401 829*64]。
扉を開け閉めて比高70mの山頂めざし、200m余大手道を登ると、「田中筑前守墓碑」があり石垣に上に墓石がある。
更に登ると馬の背状の尾根の東に曲輪があり城跡碑が建てられ、そこから国府町の家並が望め、北に階段状の郭が連なっている。
西に細長い平坦地があり、その西に主郭があり、城跡碑が建てられている(QRコード付き)。主郭は50m四方ほどの広さがある
西に堀切を挟んで、平坦地があり、頂上に西郭があり、北側に細長い腰郭がある。
北側斜面に大規模な畝状竪空堀群があり、西端尾根に大堀切が残っている。
城跡は個人所有となっており、昭和四十五年(1970年)8月11日、県の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代に広瀬利治が築城したとされ、広瀬氏の本拠地であった。 『飛州志』では、「藤原利仁将軍の末裔、広瀬左近将監利治が、広瀬山崎の城から当城を築いて移り、その後さらに高堂城を築いて移った。」や「同郷名張村にあり旧称広瀬の城と云う。広瀬宗城家臣田中与左衛門之を守る」等と記している。
天正十一年(1583年)三木自綱は城主広瀬氏を滅ぼした。その二年後、天正十三年(1585年)三木自綱は飛騨へ侵攻した金森長近に敗れ、京都に逃れた。