菅沼城 (すがぬまじょう) (町の史跡)
所在地 山梨県南巨摩郡身延町寺沢3250 2015.8.23
菅沼城 (すがぬまじょう) (町の史跡)
所在地 山梨県南巨摩郡身延町寺沢3250 2015.8.23
南側遠景
中富中学校
城址碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 町立中富中学校(表記番地)のグランド側にある正面玄関前に「温故知新・菅沼城跡」の石碑が建てられている [マップコード312 488 070*74] (地図)。
富士川の西の尾根先端の比高50mほどの高台にある。昭和39年5月12日、身延町の史跡に指定されている。
【歴史】 天正十年(1582年)六月の本能寺の変後、甲斐侵攻を目論む徳川家康は、岡部次郎右衛門正綱に命じてこの地に城を築かせたという。
家康は家臣の菅沼定政に統治を命じ、相模北条氏に備えた。定政は天正十八年(1590年)、家康の関東移封に伴い下総国に移封されるが、菅沼城はその後十年間存続し、廃城になったとされる。