猿沢城 (さるさわじょう)
最寄地 新潟県村上市猿沢2730 2018.5.28
猿沢城 (さるさわじょう)
最寄地 新潟県村上市猿沢2730 2018.5.28
登城ルート
神明宮
居館跡
福立南の郭
帯郭・福立切岸
福立
福立西の空堀
尾根の堀切1
サルクロ南の空堀
サルクロ
猿沢城 詰跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 村上市猿沢の西側に聳える標高233mの尾根に詰の「サルクロ」がある。南に伸びた尾根上に小郭を設け、標高約110mの「福立」、標高約70mに薬師山の郭が配置されている。南麓に広大な居館跡がある。
「福立」まではマーキングがあり、遊歩道、倒木も整備されているが、サルクロ(詰) への尾根は放置され、特にサルクロ付近は鬱蒼としている。帰りを迷わないよう地形を振り返って覚えておいた方がよい。
【案内】 国道7号線の西側を平行して走る道路より橋を渡った神明宮(表記番地)前に駐車でき、説明板が建てられている[マップコード250 707 498*77](地図)。
神明宮の背後の杉林の通路を西に行くと、左側に広い居館跡がある。その手前のマーキングを伝って左に行くと、「薬師山」に郭が3段に亘って残り北側に堀切がある。
そこより比高70mほど登ると「福立」の郭がある。西側に幅広の空堀があり、尾根を登ってゆくと、深い堀切がある。この辺からマーキングはほとんど無い。ピークを越えて2つの堀切があり尾根を延々登ってゆく。
サルクロ(詰) の手前に小郭、空堀が樹木の中に見られる。
【歴史】 鎌倉時代初め、小泉荘の地頭として関東より入った秩父氏を祖とする本庄氏ゆかりの城である。
『本荘氏記録』によると、「永正五年(1508年)、本庄時長、嫡男対馬守房長に家督を譲り、時長は領地猿沢の村に隠居す」と記され、16世紀初めには猿沢城が存在していた。
本庄城(村上城)と猿沢城は、本庄氏の重要な拠点であった。天正十八年(1590年)本庄繁長は豊臣秀吉により改易され、猿沢城は廃城となった。