荒山城 (あらやまじょう)
所在地 石川県中能登町蟻ヶ原 2014.10.26
荒山城 (あらやまじょう)
所在地 石川県中能登町蟻ヶ原 2014.10.26
登城ルート
登り口
四阿
見晴し台
虎口
腰郭・主郭切岸
主郭
荒山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 県道18号線荒山峠北250mより東に分れた「林道城石線」を200m行ったところに駐車場が用意されている[マップコード 135 443 280*15 ](地図)。「荒山城址」の石碑、案内板が建てられている。
南に登った標高486m比高約100mの「桝形山」頂上に主郭、腰郭がある。主郭は直径約50mの円形である。その下段に鉢巻き状の曲輪、階段状の郭がいくつもある。登山道は良く整備され、途中、平坦地に休憩所があり少し上に、木組みの見晴し台がある。
杉などの樹木は無く、主郭跡からは四方がよく展望でき、東方に石動山を望める。
【歴史】 天正五年(1577年)上杉謙信の能登侵攻の際、能登守護畠山氏により築かれたと伝えられる。
『荒山合戦記』によると、天正十年(1582年)六月二日、本能寺の変で織田信長が自刃したのを機に、石動山衆徒は越後の上杉景勝に支援を求め、畠山氏の遺臣である温井(ぬくい)備中守景勝(かげたか)と三宅備後守長盛の両氏と共に、六月二十三日荒山砦に籠った。
これに対し、羽柴秀吉は前田利家に石動山城攻略を命じた。利家は3千の兵を率いて石動山に向かい、六月二十五日未明に桝形山と石動山の間にある芝峠砦に布陣した。
そして荒山砦の普請に向かう温井・三宅軍を急襲し、これを破った勢いに乗じて砦に攻め入り、ついに荒山砦は陥落した(荒山合戦)。
この合戦に勝利した利家軍は翌二十六日に一気に石動山院に攻め入って、一山に火を放ち栄華を誇った石動山の堂塔伽藍は、ことごとく焼き尽くされた(石動山合戦)。