虚空蔵山城 (こくぞうさんじょう) (麻績古城)
最寄地 長野県東筑摩郡麻績村麻8059−2 2020.10.25
虚空蔵山城 (こくぞうさんじょう) (麻績古城)
最寄地 長野県東筑摩郡麻績村麻8059−2 2020.10.25
登城ルート(緑線は車道)
駐車場向いから登る
南東の堀切
主郭入口
虎口右の石垣
主郭・土塁
祠・城跡標柱
主郭2郭間の堀切
2郭の浅い溝・奥は主郭
3郭北の堀切(振り返る)
虚空蔵山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 麻績城のある山頂から南に伸びる標高約776mの尾根先端部に築かれている。
主郭の東から南は岸壁で天然の城壁となっている。主郭は東西30m程の広さで北から東にかけて土塁が巡り、虎口付近に石垣が施されている。
北側は急斜面で大堀切は見応えがある。2郭・3郭北の堀切も深く堀底に土盛りし恰も2重堀切となっている。
【案内】 麻績宿のある県道12号線より法善寺横を通って信濃観月苑(表記番地)に向かい、手前カーブの第二駐車場が利用できる[マップコード177 455 080*11]。
道路向かいの右側から登り、すぐ右に行くと尾根の堀切に出る。
そこから左手の斜面を登って行くと、階段状の郭の先に岩壁があり南東の坂から上る。坂は急でロープがあるが、滑って登りにくい。
虎口の右方向に石垣があり、土塁の残る主郭がある。主郭は広く北側の高土塁前に祠が祀られ、城跡標柱が建てられている。
主郭の北背後は大堀切となり、その北に2郭がある。2郭の北に仕切り用の溝があり、南北に長い3郭に続く。その北に深い堀切が残っている。
【歴史】 戦国時代初期に服部清信は虚空蔵山城の詰城として、新城・麻績城を築いた。
天文二十二年(1553年)武田信玄の信濃侵攻で、苅谷原城、青柳城が落城すると、服部氏は越後へ逃れた。その後、武田氏、上杉氏、小笠原氏の間で争奪戦が行われた。