下呂森城 (げろもりじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市森1808-37 2017.8.24
下呂森城 (げろもりじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県下呂市森1808-37 2017.8.24
登城ルート
峰一合遺跡
展望台
城址標柱
城平
休憩所
堀切・橋
下呂森城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 飛騨川に沿った下呂市街を望む標高589mの城平と呼ばれる山頂にあり、面積は広く、公園として整備され、遺構は少ないが東側尾根に堀切が2条残っている。
【案内】 国道41号線「森」交差点より約1.8km南東に行った「下呂ふるさと歴史記念館」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード772 450 862*40] 。
東に縄文公園があり竪穴住居が展示されている。市道を跨ぐ橋より、敷石の遊歩道を東に登ってゆくと、城平頂上に辿り着く。
西側に展望台、東に休憩所が建てられ、東の堀切には橋が架けられ、更にもう一つの堀切を経て、周回コースに続いている。
展望台、休憩所の石垣は平成11年に積まれている。昭和六十三年(1988年)3月22日、下呂町(現下呂市)の史跡に指定された。
【歴史】 『益田郡誌』によると、永禄年間(1558~70年)に森和泉守が居城したと記されているが、詳細ははっきりしない。
『蛭川村史』では、田口監物が森山の城主となった。その長子田口四郎左衛門は土岐郡高山城主田丸介との戦いで討死した。
一説に、田口四郎左衛門は天正の初め(1573~78年)頃、三木自綱の娘と結婚したが、自綱に東濃に追放され戦死したと伝えられる。