赤田城 (あかだじょう)
最寄地 新潟県刈羽郡刈羽村赤田北方2885 2017.6.6
赤田城 (あかだじょう)
最寄地 新潟県刈羽郡刈羽村赤田北方2885 2017.6.6
登城ルート(緑は2郭)
北方口遊歩道の中間点
北郭
本丸北の空堀
本丸北
斎藤下野守朝信城趾の碑
本丸・四阿
2郭
赤田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m】
【感想】 赤田北方・赤田町方の境にある標高164mの山頂にあり、2方向からの遊歩道(北方口・大手口)が整備されている。案内標識も要所要所にあり迷う事はない。
見晴台、空堀、北郭、2の丸があり、本丸に四阿、「斎藤下野守朝信城趾」の石碑が建てられている。本丸東の尾根に東郭、大堀切があるらしい(今回見落した)。
【案内】 県道73号線より東福院(表記番地)へ向かう道の北西に北方口遊歩道駐車場がある[マップコード157 019 629*36](地図)。
また、山裾を南に回り込んだ道路左に大手口遊歩道駐車場がある[マップコード187 558 870*77](地図)
【歴史】 戦国時代、築城時期は定かでないが、斎藤氏により築城された。斎藤氏は代々下野守を名乗り、頼信・昌信・定信・朝信と続き、朝信は上杉謙信に重臣として仕えた。
天正十五年(1587年)朝信の子景信は、上杉景勝の新発田城攻略の際に軍功を挙げた。
慶長三年(1598年)景信は、上杉景勝の会津移封に同道せず赤田に残ったが、その子信成の時、米沢へ移り廃城となった。