堂沢出城 (どうさわでじょう)
最寄地 長野県長野市上野1丁目1567 2019.11.10
堂沢出城 (どうさわでじょう)
最寄地 長野県長野市上野1丁目1567 2019.11.10
登城ルート(緑線は車道)
下り口の道標
北側城塁
南側入口・標識
南の郭(奥が主郭切岸)
主郭・北側土塁
西側土塁
主郭北側の空堀
堂沢出城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 若槻山城より南東に伸びる標高540m付近の尾根にあり、50m四方ほどの規模である。
北側と西側に高土塁がありその上にL字型の空堀がよく残っている。西側の土塁は幅が広く櫓台の様であった。
平成15年5月に山城見学帰りの若槻小学校6年生により発見された城という。
【案内】 県道60号線「田中」交差点の西、約150mの「見晴の湯」(表記番地)より北に林道を登り、溜池の堤防(普通車は通行可)を通って1.3km行き、左折後1km行ったカーブにトレッキングの標識が建てられている[マップコード54 401 102*83](地図)。
「山城跡」登り口100m程手前にあり、そこから南へ下ってゆく。約150m下ると、城塁が見え右側を回り込むように進むと南の郭に着き、北側に主郭がある。
【歴史】 八幡太郎義家の孫若槻頼隆は鎌倉幕府の命により、相模国から若槻地域周辺を治める地頭職として赴任し、若槻里城を構えると共に三登山中に山城を構築した。その中間点に位置し若槻山城の出城と考えられる。