椎谷陣屋 (しいやじんや) (県の史跡)
最寄地 新潟県柏崎市椎谷1996 2014.7.20
椎谷陣屋 (しいやじんや) (県の史跡)
最寄地 新潟県柏崎市椎谷1996 2014.7.20
説明案内板
配置図
役所跡
長屋跡
表門跡
藩邸跡・稲荷神社
砲術稽古場跡
椎谷陣屋跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 椎谷簡易郵便局(柏崎市椎谷1942)の北約210mの国道352号線より東に入った高台に藩邸跡、馬場跡、砲術稽古場跡、表門跡がある[マップコード187 794 742*68]。
一段下がった東に武家屋敷跡、長屋跡がある。北側の民家付近が武器蔵、籾蔵跡であった。
西の海側に長さ90m高さ4mのL字状の土塁に囲われている。敵襲や浜風に備えたと思われる。
昭和四十六年(1971年)4月13日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 江戸時代に椎谷地区ほか刈羽郡の一部などを領した椎谷藩(1616~1871年)が設けた陣屋が在った。
藩祖の堀直之は江戸草創期の幕閣になり、江戸町奉行や寺社奉行などの役職に就いた。
歴代の藩主も若年寄や大番頭、奏者番などの要職を勤め、石高は5千5百石であったが、後に1万石となった。藩主は江戸定府であったため、領内の統治は陣屋にて行った。
当初、椎谷藩は西山町妙法寺の超願寺を仮陣屋としていたが、元和五年(1619年)には椎谷に陣屋を設けた。その後、元禄年間には椎谷字「唐見の前(さき)」に移されたという。
現在の字「打越」に構えたのは、正徳五年(1715年)5代堀直央(なおさか)の時代である。
慶応四年(1868年)陣屋は戊辰戦争により全焼した。『柏崎市教育委員会現地看板』より。