千福城 (せんぷくじょう) (平山城)
所在地 静岡県裾野市千福387 2019.7.9
千福城 (せんぷくじょう) (平山城)
所在地 静岡県裾野市千福387 2019.7.9
登城ルート(緑線は車道)
普明寺・標柱
西の郭
西郭北の空堀
主郭西の堀切
西側堀切・主郭切岸
主郭・城址標識
東の郭
南東の空堀
千福城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 葛山城の南東約1.7kmに位置し、普明寺背後にある標高198mの山頂に主郭があり東側に階段状の郭があり、南東に空堀が残っている。
一方主郭北西側に尾根の郭、北側に樹木の茂った深い空堀があり、南斜面に2条の竪堀が見られた。
城域は広く、北西部分は東名高速道路で分断されている。
【案内】 国道246号線側道より県道24号線に入り、富士方面の「千福」交差点の90m先を西に行くと、左側に普明寺(表記番地)入口があり、駐車できる[マップコード50 378 566*68]。
本堂右より登ってゆくと、所々に標識があり、主郭西の堀切に着く。そこから北西に尾根を行くと南側に竪堀、北側に深い空堀があり、北西端から東名高速道路が見える。
戻って主郭に登ると、看板が建てられ、樹木が伐採され展望が効く。東側に階段状の郭が見られ、南東に逆L形の空堀が残っている。
【歴史】 築城年代は不明だが戦国時代、葛山城を本城とする葛山氏によって築かれたと云われる。
葛山備中守の居城であったが、後に御宿勘兵衛正倫(まさとも)の居城となった。
正倫は今川氏に属していたが、武田信玄が駿河国に侵攻した後は、武田氏に従い、天正十年(1582年)武田氏が滅亡すると、越前松平忠直さらに豊臣秀頼に仕えて大阪夏の陣で討死したという。