鵜沼城 (うぬまじょう) (宇留間城・宇留馬城・志水山霧ヶ城)
所在地 岐阜県各務原市鵜沼南町 2014.11.25
鵜沼城 (うぬまじょう) (宇留間城・宇留馬城・志水山霧ヶ城)
所在地 岐阜県各務原市鵜沼南町 2014.11.25
木曽川対岸より鵜沼城跡
北側より遠景
犬山線の横の扉
鵜沼城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道27号線「犬山橋北」交差点の北東岩山が鵜沼城跡であり、東側の名鉄犬山線の横に扉があるが、立ち入り禁止となっている[マップコード70 218 022*86] (地図)。他の三方は断崖となっており、木曽川右岸の岩山である。
【歴史】 永享年間(1429~41年)土岐氏や斎藤氏に仕え、この地方に勢力をもっていた大沢利治により築城されたという。
戦国時代中期の永禄七年(1564年)、尾張国の織田信長は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に鵜沼城と伊木山城の攻略を命じ、鵜沼城主の大沢治郎左衛門は攻略に強く抵抗した。藤吉郎の調略によって治郎左衛門は降伏するが、信長は降伏した治郎左衛門の変心を恐れ、殺害を企てるが藤吉郎の計らいで治郎左衛門は逃がされたといわれる。
その後、鵜沼城は犬山城主の池田恒興に与えられ、恒興が国替えになった後は中川定成が犬山城に入り、同時に鵜沼城も支配した。
小牧・長久手の戦いの中、天正十二年(1584年)三月十三日、秀吉勢の池田恒興は、東美濃へ向かうと見せかけて旧領である鵜沼城に入城、中川定成が留守なことを利用して犬山城を攻略し、かつての居城ということもあり短時間で攻め落とした(犬山城の戦い)。 その後、廃城にされた。