表木城 (おもてぎじょう)
最寄地 長野県伊那市西春近6847 2018.10.23
表木城 (おもてぎじょう)
最寄地 長野県伊那市西春近6847 2018.10.23
説明板
登城ルート
説明板・城跡碑
南郭
主郭南郭間の空堀
主郭西側の空堀
北郭主郭間の空堀
主郭虎口・土塁(内側)
主郭・祠
北郭の北側空堀
表木城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 天竜川右岸の河岸段丘先端に築かれた、3つの曲輪から構成された崖端城である。
台地側に南北に深い空堀が残り、夫々の郭間にも空堀が良好に残っている。主郭にはコの字に土塁が残っており、東側は飯田線によって一部消滅している。
【案内】 県道221号線の表記番地北より東に行き、南に向かうと墓地がありその反対側に駐車できる[マップコード171 128 021*86]。
その南が北郭で空堀を挟んで主郭、南郭と南北に並んでいる。主郭西の空堀前の道路に説明板、城跡碑が建てられている。
南郭の南側道路も堀跡と思われる。
【歴史】 戦国時代、在地領主・表木氏の居城であった。
『諏訪御附札之古書』によると、文明十九年(1487年)高遠の諏訪継宗が、伊那軍を率いて諏訪に攻め込んだ合戦で、真木氏(牧郷)・福島氏(伊那福島郷)・高見氏(中沢郷)等と共に、面木(表木)氏の討死が記録されている。
『伊那式鑑根元記』によると、「表木主膳18貫文を有して同村表木に住む・・・・世々高遠城に属し、天正年中同氏の時、家名を失い其跡年貢地となる」。
総合的に推察すると、表木城は室町時代前期頃にその母胎が築かれ、武田信玄が伊那に侵攻しこの地を支配した時期に、家名を失い滅亡したと推定されている。『現地説明板』より。