坂部城 (さかべじょう) (阿古屋城・阿久比城)
所在地 愛知県知多郡阿久比町卯坂栗之木谷32−4 2019.3.10
坂部城 (さかべじょう) (阿古屋城・阿久比城)
所在地 愛知県知多郡阿久比町卯坂栗之木谷32−4 2019.3.10
町立図書館
説明板
城山公園・説明板
城山公園
阿久比古城址之碑
土塁
土塁
坂部城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小高い城山公園には三十三観世音菩薩が祀られており、遺構は多くは無いが、公園の南から西にかけて土塁が見られる。
【案内】 県道55号線より西に行った「町立図書館」(表記番地)敷地及び東に隣接した城山公園となっている[マップコード17 364 359*02] 。
【歴史】 築城時期は定かでないが、久松定益により築城され、当時は阿古屋城・阿久居城とも呼ばれたという。
『尾張誌』には「坂部村にあり、其跡40間南北50間、英比(あくい)の城ともいふ。久松佐渡守菅原俊勝の居城なり」と記されている。
家康の生母の於大の方は、天文十六年(1547年)坂部城主・久松俊勝に再嫁し、俊勝が岡崎城代として移るまで15年間在城した。その間熱田や駿府で人質の身であった家康に励ましの手紙や衣類を送り続けた。
桶狭間の戦いを控えた永禄三年(1560年)五月、於大の方と家康(当時は松平元康)はこの地で母子16年ぶりの感激の再会を果たした。
天正五年(1577年)佐久間信盛に陥れられ、城主・久松信俊(俊勝の長男)は大阪四天王寺にて切腹させられた。坂部城は信盛の手勢によって攻められ、落城炎上したと伝えられる。『阿久比町教育委員会説明板』より。