五ヶ所城 (ごかしょじょう) (県の史跡)
所在地 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦2366 2016.4.26
五ヶ所城 (ごかしょじょう) (県の史跡)
所在地 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦2366 2016.4.26
登城ルート(緑は居館跡)
外空堀
内空堀・土橋
本丸・城趾碑
本丸跡
愛洲公顕彰碑
釣瓶古井戸
塔頭
居館跡
五ケ所城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 国道260号線より県道12号線を北に行くと「愛洲の館」(表記番地)があり、大きな「案内板」が建てられ、駐車場が用意されている。
その東の、比高約30mの山頂が五ケ所城跡である。正面の高い石段を登り、公園にで、突き当りを左に行くと、空堀、土橋、虎口がある。空堀は二重になっている。
以前は鬱蒼としていたが、竹が間引かれ良く見える。本丸には説明板、「五箇所城阯」の石碑が建てられている。中央には「愛洲公顕彰碑」が建てられ、西側に土塁が残っている。
東側には郭が二段ほどあり、東の道路まで広がっている。北東の川近くに釣瓶井戸跡が残る。
昭和十三年(1938年)2月7日、五ヶ所城 附 愛州氏居館跡及墳墓として、三重県の史跡に指定された。
【歴史】 伊勢の豪族、愛洲(あいす)氏の居城で南朝のため各地で活躍し、後に北畠氏の配下として勢力をふるった。
伊勢地方に勢力を張り、熊野水軍と結んで、田丸や一之瀬に進出した。功により伊勢の守護職となり所領を受けて、伊勢神宮のうしろだてとなった。。
一族は長くこの地を本拠地として威を振るったが、天正四年(1576年)織田信雄の配下の北畠氏の軍に攻められ落城し、愛洲氏は滅亡した。
愛洲氏一族から愛洲(移香斎)久忠(1452~1528年)が出て宮崎鵜戸の岩屋に籠り剣の奥義を悟り、愛洲影流を開き世に広めた。
愛洲影流は上泉伊勢守信綱により新陰流となり、柳生石州斎の柳生新陰流をはじめ、二百余流の源として移香斎は剣祖と仰がれている。