久米ヶ城 (くめがじょう)
最寄地 長野県飯田市久米2307 2016.1.10
久米ヶ城 (くめがじょう)
最寄地 長野県飯田市久米2307 2016.1.10
三の郭南堀切
主郭
主郭・物見櫓
城山稲荷
系図見取り図・説明板
見取り図(下が北)
久米ヶ城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 三遠南信自動車道を越えて、市道を南へ約800m行き、城山公園の標識のある場所を左折し[マップコード313 738 827*63] 、舗装された林道を約900m登ると標高733.6mの城山頂上に城山公園駐車場が用意されている[マップコード313 769 122*50]。
櫓台には「城山稲荷大明神」が祀られ、展望台が建てられている。また駐車場横に維新の女傑・松尾多勢子の自筆歌碑がある。
南側の一段下がった二の丸跡に城山荘(表記番地:廃屋)があり、その南に、三の丸がある(地図)。三の丸南の舗装された林道が堀切である。
【歴史】 久米ヶ城は、貞和年間(1345~50年)に松尾城主小笠原貞宗の弟小笠原彦次郎貞長が築城した。東平の麦種城、西平の西平城を支城としていた。
貞長を初代とし、長高・氏長・満長・村長・持清・正長・尚清・植盛と9代200年に亘って小笠原氏が在城し、戦国時代中期まで続いていた。
身内の争いにより松尾城と共に落城したと云われている。