善照寺砦 (ぜんしょうじとりで)
所在地 愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3 2017.2.26
善照寺砦 (ぜんしょうじとりで)
所在地 愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3 2017.2.26
南東側階段
砦公園碑
腰郭
砦公園
鳴海絞開祖三浦之碑
説明板
善照寺砦跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 鳴海城跡の東600mに位置し、砦公園となっている。西側は住宅と地続きになっており、埋められたものと思われる。東から南に一段下がって、腰郭のような平坦地がある。
【案内】 県道36号線「潮見が丘」交差点の西約180mより南に行った砦公園となっている[マップコード17 880 365*07]。
南側は一段下がった曲輪がある。東端に鳴海絞りを広めた三浦玄忠の慰霊碑「鳴海絞開祖三浦之碑」が建てられている。
砦は一辺50mの堀と土塁を巡らせた館型であった。西の屋根続きに出入口があり、出入口南側の土塁は櫓台状になっていた。
【歴史】 織田信秀の死後、子の信長から離反し今川方についた鳴海城主・山口教継、教吉親子が、永禄二年(1559年)の切腹により、鳴海城は南の大高城とともに今川義元の猛将岡部元信が守った。
織田信長はこれに対抗すべく、鳴海城を取り囲むように丹下砦、善照寺砦、中嶋砦の三砦を築き、さらに大高城との連絡を絶つべく、大高側に丸根砦、鷲津砦を築いた。
永禄三年桶狭間の戦いの頃、善照寺砦には佐久間右衛門尉信盛、舎弟左京亮信辰が守っていた。砦の建築は孤立した前線基地へ敵勢をおびき寄せる目的もあった。
永禄三年五月十九日(1560年6月12日)、信長はここに2千の兵を終結させ、南東約3kmに位置する桶狭間に向かった。