蒲原城 (かんばらじょう)
最寄地 静岡県静岡市清水区蒲原2538 2016.2.6 2017.2.24
蒲原城 (かんばらじょう)
最寄地 静岡県静岡市清水区蒲原2538 2016.2.6 2017.2.24
説明板
登り口の城跡看板
北側の大空堀
腰曲輪・石垣
本郭北曲輪(善福寺曲輪)・土塁
空堀
南曲輪虎口
城址碑
本郭南曲輪
蒲原城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 県道396号線(東海道)の蒲原駅の西約250mの交差点を北に約1.1km行くと、左に大きな「駿河国蒲原城」の標識がある。道路の両側に駐車スペースが用意されている[マップコード 72 132 559*76 ]。
南へ遊歩道がつけられ途中に、大空堀がある。藪の間より覗くと、深い谷状となっている。
直進すると南端に「本郭南曲輪」があり、虎口に「蒲原城址」の石碑が建てられている。東西約45m南北約75mの本郭は南北に二段になり北に神社が建てられている。
標高約136m比高約50mの鳥居付近からは南に東名高速道路、新幹線などの通る蒲原市街や遠く駿河湾を望むことが出来る。
本郭の北に空堀で隔てて一段低く、善福寺曲輪があり、西に土塁が残っており、展望台が2基建てられている。
その北に、空堀を巡らせた腰郭があり、当時のものでは無いかもしれないが善福寺曲輪側に石垣がある。 二の郭は、草木に埋もれ色々探したが分からなかった。
静岡市の史跡に指定されている。
【歴史】 室町時代前期頃、今川氏が駿河国守護として入国したのち、その一族によって築城したものと考えられる。文献上特定の城主はなく、戦乱の折に城代・城番が置かれた。
永享十三年(1441年)正月における年禮但馬守範里、天文十三年(1544年)から同十三年にかけての飯尾豊前守、永禄四年(1561年)佐竹又七郎、同雅楽助、永禄十二年(1569年)一月今川氏の盟友関東北条方の北条新三郎が守城の折り、本郭を大改築したが、同年十二月甲斐国の武田信玄に攻められ落城、武田方に移った。
天正十年(1582年)二月、徳川勢による落城まで武田氏の治下にあって当地の土豪、地侍によって「蒲原衆」を編成しこの地を治めた。
天正十八年(1590年)三月豊臣秀吉の小田原征伐の折、徳川勢の着陣を最後に、廃城となった。