霞城 (かすみじょう) (大室城)
最寄地 長野県長野市松代町大室157 2016.11.11
霞城 (かすみじょう) (大室城)
最寄地 長野県長野市松代町大室157 2016.11.11
登城ルート
登り口・標識
主郭北石垣
主郭北石垣
主郭西側石垣
主郭
2郭
2郭東側石垣
3郭南側石垣
霞城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 奇妙山より千曲川に向け、北西に伸びた標高約408mの尾根先端に築かれている。
平石を積み上げた石垣が随所に残り、特に登ってきた北側の石垣は長大でよく残っている。
【案内】 大室公民館[マップコード54 041 266*77]に駐車できる。東に100m行き、右に曲がると表記番地の先、永福寺横に登り口があり、標識がある(地図)。他に「石門口」登り口がある。
九十九折れの遊歩道を登ると、尾根に出、左に進むと石垣が20mほど残り、その上に主郭があり、説明板が建てられている。
主郭の南に一段づつ下がって2つの郭(2郭、3郭)があり、夫々石垣が残っている。南に下ってゆくと、両側に石垣のある土橋があり、その南に獣除けフエンス扉が設けられ、奇妙山トレッキングコースに続いている。
【歴史】 小笠原長清の末裔時光(大室牧の牧監)は、その地名をとり大室氏を名乗った。
戦国時代、大室氏は村上氏に従った。天文二十二年(1553年)、武田方の真田幸隆らの調略により同族の屋代氏や雨宮氏、塩崎氏に攻められ、敗れた村上義清が越後に逃れると、大室助左衛門は武田氏に降り従った。
天正十年(1582年)六月、上杉景勝が川中島を領すると、大室助左衛門の子左衛門尉綱定(源二郎)は旧領を安堵された。
慶長三年(1598年)大室氏は上杉景勝の会津移封後、上杉氏に従い会津に移った為、廃城となった。