若宮城 (わかみやじょう) (芋川城)
所在地 長野県上水内郡飯綱町大字芋川 2019.9.1
若宮城 (わかみやじょう) (芋川城)
所在地 長野県上水内郡飯綱町大字芋川 2019.9.1
登城ルート
遊歩道入口
3郭・堀切
2郭
主郭手前の堀切
主郭・芋川古城之碑・神社
主郭北東の堀切(横から)
主郭北西の堀切
北西の2重堀切
2重堀切(2番目)
若宮城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 飯綱町大字芋川の南東に伸びる標高698mの丘陵先端に築かれている。
主郭は2段になっており、神社、標柱が建てられている。北西背後には2重堀切と上段に1条の堀切が残っている。北東にも堀切が見られる。
南東尾根に2郭、3郭、堀切があり、その手前に2段になった細長い4郭があるが、全般的に草木ではっきりしなかった。
【案内】 県道60号線から若宮集落に入った所に説明板と案内図が建てられている[マップコード54 736 412*36](地図)。その反対側の廃屋前に駐車した。
西の3軒目と4軒目の間に狭い参道兼遊歩道入口がある。登って右に行き、すぐ左に遊歩道を登ると、西園寺屋敷の広く細長い郭に着く。そこから4郭、3郭、2郭、主郭と階段状に並んでいる。
昭和六十二年(1987年)5月19日、飯綱町の史跡に指定された。
【歴史】 奥信濃で大きな勢力を持っていた豪族・芋川氏の居城であった。
応永十一年(1404年)高梨左馬助が守護に叛き、国人一揆を起こすと、守護代細川兵庫助が高梨氏を攻めた。このとき高梨氏方の若宮城主・芋川長知が自刃した。
永禄十二年(1569年)頃、芋川親正氏は武田氏に従っており、上杉領と対峙していた。
天正十年(1582年)武田氏を滅ぼして川中島4郡を支配した織田信長の家臣森長可に対して、上杉景勝と手を結んだ芋川親正を大将とする8千の一揆が蜂起し大倉古城を修築して立て籠もった。結果的に敗れた芋川親正は、上杉景勝を頼って逃れ、上杉氏に仕えた。