朝倉城 (あさくらじょう) (塩沢城)
最寄地 長野県茅野市米沢7999 2015.9.13
朝倉城 (あさくらじょう) (塩沢城)
最寄地 長野県茅野市米沢7999 2015.9.13
説明板
登城ルート(緑線は車道)
登り口
御嶽神社鳥居
二の丸跡
堀切・本丸跡
本丸跡・土塁
説明板・城跡碑
東郭・2重堀切
東郭
朝倉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 表記番地南の道を東に100mほど行くと、熊猪除けフエンスがあり、扉を開け閉めして、その先のカーブ付近に駐車スペースがある。少し行くと、登り口に「朝倉城跡」の標識が建てられている[マップコード218 700 889*22](地図)。
右に登って尾根に付き、左の御嶽神社の丸太の鳥居を潜り、尾根を30分ほど登ると不動像の北に堀切があり、狭い三の丸、堀切、細長い二の丸がある。途中の登り道に仏像が4、5体祀られている。
堀切を越えて北に標高1087m比高約140mの朝倉山頂上に本丸跡がある。本丸跡には土塁が一周残り、説明板・「朝倉山城跡」の石碑が建てられ、御嶽神社の祠が祀られている。
本丸東に堀切、狼煙台として使われたと思われる東郭、北に堀切、後郭がある。
昭和六十三年(1988年)7月29日、茅野市の史跡に指定された。
【歴史】 天文年間(1532~55年)塩沢安兵衛が武田信玄に従い、信州大門の戦いで戦功があり、朝倉城を与えられた。
その後、子の将監が城主となった。武田氏に従い狼煙台としても使用された。
天正十年(1582年)織田信長勢に攻められた武田勝頼が天目山で自刃し武田氏が滅亡の後、城主塩沢将監は出家し、朝倉山高照院塩沢寺を開基した。塩沢寺裏の小丘に自然石の墓碑がある。『塩沢財産区説明板』より抜粋。