小浜城 (おばまじょう) (雲浜城 )(うんぴんじょう)
所在地 福井県小浜市城内1‐7‐55 2014.6.15
小浜城 (おばまじょう) (雲浜城 )(うんぴんじょう)
所在地 福井県小浜市城内1‐7‐55 2014.6.15
小浜神社
南東櫓台
北東櫓台
西側の本丸石垣
天守台石垣
天守台・説明板
説明板
天守台石垣
移築藩校正門
小浜城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道162号線西側、小浜湾に注ぐ北川と南川との三角州にあり、天守台や本丸周囲の石垣が良く保存され城跡碑や看板がある[マップコード852 614 117*77]。
本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社(表記番地)が建立(明治八年)された。本丸の他は、宅地化され中州の突端には雲浜小学校がある。
また近くの若狭高等学校(小浜市千種1‐6‐13)の正門に小浜藩藩校・順造館(1834年造)の正門が移築されている。
【歴史】 慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで功績があった京極高次が若狭国を拝領、後瀬山城を居城とするが、詰城であった後瀬山城本丸は標高(約170m)が高く、麓の旧守護館(現在は空印寺)は近世大名として政務を執るには狭すぎたため、慶長六年(1601年)海岸近く新たな居城(小浜城)の築城に着手し始めた。
近世の城として戦時の防御性よりも行政処理の利便性に重きがおかれ平坦な平野の中央部に築かれた。二代京極忠高は越前敦賀郡を寛永元年(1624年)に加増され、小浜藩の藩領が確定する。
その後、寛永十一年(1634年)に京極家が出雲松江藩へ転封されると、徳川家譜代の重鎮である酒井忠勝が12万3千石で小浜藩に封じられ入城、城の整備拡張が続いた。
寛永十二年(1635年)には、三重三階の天守が完成、寛永十九年(1642年)に城が完成し藩主が移った。
その後、酒井氏十四代の居城となり明治維新を迎えたが、明治四年(1871年)に城内に大阪鎮台第一分営を設置する工事中に出火し天守を除く城の大部分を焼失した。残存した天守は明治七年(1874年)に売却撤去された。