富士見城 (ふじみじょう)
最寄地 長野県小諸市菱平2805−1 2020.11.8
富士見城 (ふじみじょう)
最寄地 長野県小諸市菱平2805−1 2020.11.8
登城ルート(緑線は車道)
浅間山(右)
歴史公園入口・案内図
堀切・橋
主郭東の堀切・橋
主郭
堀切・2郭
主郭南側石垣
2郭・石垣
4郭から見た3郭石垣
富士見城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 小諸城の北約2kmにある標高835.6mの飯綱山に築かれている。
主郭東の堀切は深く見応えがあり、主郭南側、2郭南側、3郭西側などに石垣がよく残っている。
飯綱山公園として整備されているが、多くの石垣はそのまま保存されているようだ。
主郭からは北東に浅間山が望め、空気が澄んだ日には遠く富士山が望めるという。
【案内】 「小諸高原美術館」(表記番地)南東の飯綱山公園駐車場が利用できる[マップコード85 620 657*47]。
美術館西から城跡の飯綱山公園「歴史の広場」への歩道が設けられている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、大井氏が滋野氏に対する備えとして築いた説や、武田氏が天文年間(1532~55年)小諸城の前身・鍋蓋城を拠点としたときに、その支城として整備されたとする説がある。
天正十年(1582年)武田氏滅亡後、その遺領をめぐって起きた「天正壬午の乱」の際、徳川家康の家臣・柴田七九郎康忠が居城としたという。
天正十八年(1590年)小田原征伐で功のあった仙谷秀久が小諸城主になると、その支城として存続したが、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。