丸子城 (まるこじょう) (依田城・飯盛城)
最寄地 長野県上田市上丸子1924-イ 2015.10.5
丸子城 (まるこじょう) (依田城・飯盛城)
最寄地 長野県上田市上丸子1924-イ 2015.10.5
登城ルート
登り口
二の郭跡・展望台
本郭入口
堀切・竪堀
虎口
本郭跡・下段
本郭跡上段・井戸跡
城址碑
西側段郭
丸子城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 千曲川の支流依田川と内村川に挟まれた、標高684.8mの半島状丘陵に築かれている。南西尾根続きに根羽城、鳥屋城がある。
比高約150mの山頂の本郭は2段に分かれ上段に四阿、「丸子三左衛門城址」の石碑、説明板が建てられ、井戸跡が残っている。本郭の南端に土塁が残り、西側下段に段郭がある。
北東約300mの尾根上に2郭があり、櫓風の展望台が建てられ、依田川や丸子地区の市街地が望める。
【案内】 国道152号線「役場前」交差点より県道174号線の橋を渡ると、安良居神社(表記番地)、「彩りの森公園」があり、公園駐車場が用意されている[マップコード85 542 254*64]。
「公園北口」(地図)と「公園南口」(地図)の2ヶ所に登り口がある。
北口より諏訪神社の鳥居を潜って遊歩道を約650m比高約120m登ると、二の郭跡(地図)がある。
南西に約300m行くと堀切とそれに続く竪堀があり、石段の虎口を登ると本郭がある。本郭背後の2重堀切は見落とした。
【歴史】 築城時期は不明である。丸子城(依田城と呼ばれた時代もあった)は戦国時代の山城で、「丸子表の戦い」で有名である。
天正十三年(1585年)八月二日、真田昌幸は沼田城の明け渡しを拒み、徳川家康の軍と神川辺りで合戦し、撃退した。
その後、徳川軍は丸子城に矛先を変え八重原に布陣した。昌幸は手白塚(塩川)に出てこれを牽制した。八月十九日、諏訪頼忠が丸子城の攻撃を開始した。
時の城主丸子三左衛門(三右衛門ともいう)は少数の兵と共に守っていた。翌日、昌幸は長瀬河原に出て鉄砲で諏訪軍の背後を突いた。これを見た岡部長盛は軍を三手に分けて出撃し、河原町に火を放って真田軍を退け、辰の口から丸子城に攻めかかった。丸子三左衛門らは激戦の末、守り切った。家康は戦後17通の感状を出し部下の労をねぎらったが、激戦のほどが窺われる。『上田市教育委員会説明板』より。