福島正則館 (ふくしままさのりやかた) (県の史跡)
所在地 長野県上高井郡高山村高井197 2015.10.4
福島正則館 (ふくしままさのりやかた) (県の史跡)
所在地 長野県上高井郡高山村高井197 2015.10.4
説明板
標柱・石垣
西側山門・説明板
南側
福島正則館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 館跡は高井寺(表記番地)境内となっている。東西約105m南北約73m面積約76アールの規模で、石垣があり、西側山門前に説明版が建てられている[マップコード54 297 483*14] 。
北西角に「福島正則屋敷跡」の標柱が建てられている。北東隅に高さ約2m長さ約19mの土塁が残っている。
昭和四十一年(1966年)3月31日、長野県の史跡に指定された。
【歴史】 福島正則は元和五年(1619年)六月、広島城の無届け改築を咎められて安芸備後50万石を没収され、改易となり高井郡2万石越後魚沼郡2万5千石併せて4万5千石の捨扶持を与えられ高井野の地に住居を定めた。
移封後、嫡男・忠勝に家督を譲り、隠居したが、翌年忠勝が早世したため、正則は2万5千石を幕府に返上した。
正則の在館年数はわずか5年であったが、領内の検地を行い、高井野原の用水堰を開き松川治水の築堤、西条新田の開拓など民生に尽くした。寛永元年(1624年)七月十三日64歳で病死した。
正則はかねて本村赤和に海福寺を興して菩提寺としようとしたが、故あって位牌は領内雁田(小布施)の岩松院に納められ、境内に廟所が設けられた。四方に高土塁を築き、塁の外に空堀を巡らされていた。『高山村教育委員会説明板』より。