穴水城 (あなみずじょう) (岩立城・白藤城・白波城・岩木城)
最寄地 石川県鳳珠郡穴水町由比ケ丘ラ197−21 2014.10.26 2018.6.15
穴水城 (あなみずじょう) (岩立城・白藤城・白波城・岩木城)
最寄地 石川県鳳珠郡穴水町由比ケ丘ラ197−21 2014.10.26 2018.6.15
東側道路北の堀跡
説明板・古城追想碑・城址碑
本丸跡
二の丸跡
二の丸・奥が本丸
堀切
二の丸北の帯郭
三の丸・穴水市街
穴水城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内と感想】 町道の表記番地より、左折し北西に650mほど行くと、城跡下の駐車場に着く[マップコード283 230 181*04]。東側道路の左右に堀跡が見られる。
城跡は公園となっており、桜が植えられている。また、長氏34代・長昭連の揮毫による穴水城趾の石碑が建てられている。「古城追想」の石碑、説明板が建てられている。
登ると東西約50m、南北約40mの本丸、西に一段下がって二の丸がある。その先に、堀切が残っている。
二の丸の北に帯郭があり西に回り込むと三の丸があり、穴水市街が眼下に一望できる。
【歴史】 長(ちょう)氏の祖にあたる長谷部信連によって築城されたと伝えられる。その後、長きにわたり守護大名畠山氏の重臣、長一族の居城であった。
『長家家譜』によれば、8代正連から22代連龍まで約200年余の長氏の居城であった。
能登畠山家は、天正五年(1577年)に越後の上杉謙信の侵攻を受けて滅亡し、その後、一時期は上杉氏の手に渡るものの、天正六年(1578年)には長連龍(ちょうつらたつ)が織田信長の支援のもと奪還に成功し、信長の家臣となった(菱脇の戦い)。
その後、能登国の大名となった前田利家が、奥能登支配の拠点として管理し、連龍はその家臣となった。
天正十年(1582年)八月に大規模な修築を加えた。やがて前田氏の領国経営が安定し、 天正十一年(1583年)廃城となった。
子孫は加賀前田家の家老として3万3千石を領した。