長岡城 (ながおかじょう) (おびき形兜城・浮島城)
所在地 新潟県長岡市大手通1丁目4‐10 2015.8.16 2017.6.3
長岡城 (ながおかじょう) (おびき形兜城・浮島城)
所在地 新潟県長岡市大手通1丁目4‐10 2015.8.16 2017.6.3
長岡城趾碑・二の丸跡碑
稲荷神社
長岡駅(樹木の所)
本丸跡碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 長岡駅(西口)の造り滝横に「長岡城本丸跡」の石碑が建てられている(地図) 。
また、長岡駅の西、大手通100mの「シティホールプラザアオーレ長岡」(表記番地)の前にある稲荷神社の横に「長岡城二の丸跡」「長岡城趾」の石碑、由来文石碑が建てられている(地図)。
現長岡駅を中心に本丸があり、西に二の丸が在った。遺構は残っていない。
【歴史】 元和三年(1617年)堀直寄により築城され、翌四年堀氏の後に長峰城より入封した牧野忠成を祖とし、以後牧野氏が歴代250年間にわたり居城し長岡藩7万4千石を統治した。おびき形兜城、浮島城と呼ばれた。
寛文十一年(1671年)、延宝二年(1674年)、天明元年(1781年)、寛正元年(1789年)に4回の水害に見舞われた。
享保十三年(1728年)、天保十五年(1844年)には火災が起き、文政十一年(1828年)の三条地震で本丸を初め、役所、門、塀、柵など、ほとんどが大破した。
慶応四年の戊辰の役(北越戦争)で落城、のち一度は奪還し長岡武士の気を吐いたが、焼失し明治に入り廃城となった。