中尾生城 (なかびうじょう) (中日向城・中日尾城)
最寄地 静岡県浜松市天竜区龍山町大嶺463 2016.3.16
中尾生城 (なかびうじょう) (中日向城・中日尾城)
最寄地 静岡県浜松市天竜区龍山町大嶺463 2016.3.16
登城ルート(矢印は林道入口)
南登り口
北側峠の登り口・道標・一の鳥居
腰郭
腰郭・道標
虎口
主郭・城山稲荷
中尾生城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 国道152号線より県道361号線に入り、約1.9km行き右に白倉川の橋を渡る。約1.2km行った表記番地の下を通る林道より[マップコード386 187 281*77]、 ヘアピンカーブを2ヶ所曲がって約800m行った林道右に南登り口があり(地図)、小さな手作りの「城山稲荷登山口」の標識がある。
さらに700m行った峠手前の右にもう一つの北登り口があり(地図)、朱鳥居、道標が建てられている。どちらも登り口まで車で行ける。
両方の登り口より行った道は主郭下の腰郭で合流し、立派な道標が建てられている。
そこより東に登ると、鳥居の先に虎口があり、標高479mの主郭に城山稲荷神社が建てられている。周辺に土塁のわずかな高まりがある。東側に一段下がって2郭があり、草地となっている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、南北朝時代に天野氏によって築かれたと伝えられる。
享禄二年(1529年)頃には二俣近江守が城主であった。天文四年(1535年)には、匂坂六郎五郎長能が今川氏輝に在城を命ぜられている。
永禄十一年(1568年)、今川氏真が奥山兵部丞・左近将監父子に中尾生城の普請を命じた。
翌、永禄十二年(1569年)徳川家康から奥山兵部丞・左近将監父子に安堵状が出されている。
天正二年(1574年)には武田氏から奥山右馬助・左近丞宛に朱印状が出されており、この頃は武田氏に従っていた。
天正四年(1576年)遠江から武田氏勢力が一掃されると、高根城同様、中尾生城も廃城となったと推定される。