雲林院城 (うじいじょう)
最寄地 三重県津市芸濃町雲林院2738−1 2020.3.15
雲林院城 (うじいじょう)
最寄地 三重県津市芸濃町雲林院2738−1 2020.3.15
登城ルート(緑線は車道)
林光寺
林光寺墓地南より登る
正覚院
大手上段
堀切・竪堀
主郭・説明板
説明板
櫓台
西側の郭・鉄塔
雲林院城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 津市芸濃町雲林院の標高約172mの山頂に主郭があり、東側尾根に大手の郭が2段になって残っている。
主郭は鬱蒼として、あまりはっきりしないが、西側に櫓台、西下段に鉄塔が建てられている。説明案内板は朽ちて倒れていた。
【案内】 県道42号線より南に行った「林光寺」(表記番地)に駐車できる[マップコード213 198 619*58](地図)。
南の墓地横より入ると、「正覚院」があり、五輪塔が祀られている。
そこから登ると大手の2段になった平坦地があり、南側に虎口がある。
時計回りに登ってゆくと、土塁付の堀切とそれに続く竪堀がある。その上に主郭がある。
【歴史】 元徳三年/元弘元年(1331年)長野城主2代長野工藤祐藤の子・祐高(祐尊)が築き、雲林院(うじい)氏を名乗った。
その勢力は、『紀州軍記』に「侍600人、内馬上百騎、小人四百人、あわせて一千の大将」と記されている。
室町時代は、足利将軍家に仕え、南の北畠氏や北の関氏と戦い数々の軍功を挙げた。
永禄年間(1558~70年)長野氏は織田信長の弟信包を養子として迎え織田信長の配下となり、雲林院氏も織田信長の配下となった。
天正八年(1580年)長野(織田)信包は雲林院氏を追放しようと老臣野呂民部少輔を謀殺し、雲林院出羽守父子は信包に攻められ落城した。