越前大野城 (えちぜんおおのじょう) (大野城)
所在地 福井県大野市城町3‐109 2013.6.10 2017.8.4
越前大野城 (えちぜんおおのじょう) (大野城)
所在地 福井県大野市城町3‐109 2013.6.10 2017.8.4
二の丸跡の「めいりん」・外堀
復元門
百間坂の石垣
南側空堀と橋
北側空堀と橋
天守台石垣・復興大天守
大天守・小天守・石垣
お福池
光明寺の鳩門
真乗寺の不明門
大野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★ 比高70m】
【案内・感想】 大野市の西の標高249mの独立峰に本丸があり、亀山公園として一般開放されている。南東の山麓に駐車場が用意されている[マップコード240 523 701*01]。
百間坂と呼ばれる登城路があり石垣が残っている。頂上近く本丸虎口あたりに大野土井家七代の「土井利忠公像」の銅像が建てられている。
その北に空堀が残り、橋が架けられている。天守曲輪の手前にも空堀・橋がある。
石垣の上に二重三階の大天守及び南に二重二階の小天守が復興再建(昭和四三年・RC造)されている。
大天守内部は金森氏や土井氏に関する資料館(表記番地)となっている。
三階の展望台から西には水田が青々と広がり東には大野市街が望める。天守の東にお福池があり、門が復元されている。
東麓の二の丸跡には、学びの里「めいりん」が建てられ東側に水堀がある。
また、光明寺(大野市犬山19−17-2)山門として鳩門、真乗寺(大野市中丁7)山門として不明門(あかずのもん)が夫々移築されている。
【歴史】 天正三年(1575年)越前一向一揆を平定した恩賞として織田信長より越前国大野郡の内3万石を与えられた金森長近がその翌年最初に居城した戌山城近くの亀山に築城した。
天正十三年(1585年)長近が飛騨国高山に移り、以後長谷川氏、青木氏、織田氏、土屋氏二代、小栗氏と目まぐるしく城主が代わり、寛永元年(1624年)結城秀康の子や孫の松平氏4代を経て天和二年(1682年)大老土井利勝の四男・土井利房が城主となった。
以後土井氏が続き8代土井利恒の時、明治維新を迎えた。
7代利忠公は、藩校明倫館の開設、西洋医学、砲術の採用、藩店「大野屋」の全国開店、蝦夷地の探検・屯田の実行等を行ったことで知られる。