下山城 (しもやまじょう) (下山氏館)
所在地 山梨県南巨摩郡身延町下山2271 2015.12.13
下山城 (しもやまじょう) (下山氏館)
所在地 山梨県南巨摩郡身延町下山2271 2015.12.13
山門
城趾石碑・山門
本国寺本堂
下山城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道52号線より西に入った長栄山「本国寺」(表記番地)の敷地となっている[マップコード312 278 222*14] 。
山門の手前に説明板が建てられている。また、山門をくぐった 右先に駐車場があり、手前に「下山城趾 (山梨県) 」の石碑が建てられている。
【歴史】 甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間(1201~04年)下山に入部し下山小太郎光重と称した。
光重の子・光基(?)は、文応元年(1260年)館の隅に一宇を創建、平宗寺と称し弥陀を安置した。
光基の子・次郎は入道し、後に因幡守日永と称し比叡山修学のみぎり最蓮房と相知り、文永十二年(1275年)最蓮房上人が身延山へ参る途次、この館に一泊し、因幡房も共に身延山へ登った。ここにおいて弥陀を離れ法華に帰した。
しかし、父光基はこれに従わなかったが、建治三年(1277年)六月日蓮上人は「下山消息」を著わして光基に寄せられた。
これにより日蓮上人の門下となって、法重房日芳の名を賜わり山号寺号を現称に改めた。
室町時代に入り、応永二十五年(1418年)頃武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、下山氏館跡に居館を構えた。当寺と穴山氏との関係は深く、境内にある穴山八幡神社は穴山信君(梅雪・1541~82)を祀っている。『身延町教育委員会説明板』より。