庵原城 (いはらじょう) (庵原山城)
最寄地 静岡県静岡市清水区山切1472 2016.2.6 2016.3.12
庵原城 (いはらじょう) (庵原山城)
最寄地 静岡県静岡市清水区山切1472 2016.2.6 2016.3.12
登城ルート
新東名高速道路・城跡遠景
新東名高速のフエンス横を進む
下段の郭
石垣・上段の郭
石垣・上段の郭
北側段郭跡・堀切
北入口
庵原城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 新東名高速道路敷設工事で城跡の一部は消滅した。新東名高速道路「清水JCT」の北700mの高速道路東に郭が残っている。高速道路下に駐車スペースがある[マップコード25 778 650*34](地図)。
高速道路東のフエンス外に階段が設けられ、登ってゆき、行き止まりの手前より右に、藪を分け入ると、竹林が伐採された郭が残っている。北と西に石垣が見られる。
北側の表記番地の東[マップコード25 808 043*35]より南に登って行くと、行き止まりに「庚申供養塔」がある。その手前の蜜柑運搬用レールのある階段を登ると堀切、段郭がある。南の藪の先に前述の郭がある(こちらの方が行き易い)。
【歴史】 築城年代は定かではないが、在地土豪庵原氏が居城し、室町時代中期からは今川氏の家臣となり引き続き領した。
永禄十一年(1568年)庵原忠胤は、今川氏と武田氏との薩埵峠の戦いで今川氏の先陣として抗戦したが、敗れた。
同年、駿河国に侵攻した武田信玄の城となると、今川氏の旧臣・朝比奈駿河守信置は武田氏に付き、庵原城主となった。
天正十年(1582年)三月武田氏滅亡の際、徳川の大軍に攻められ落城し、朝比奈信置は織田信長の命令により庵原城で自刃したと云われている。