持船城 (もちぶねじょう)
最寄地 静岡県静岡市駿河区用宗城山町2‐15 2014.6.13
持船城 (もちぶねじょう)
最寄地 静岡県静岡市駿河区用宗城山町2‐15 2014.6.13
登城ルート(赤は本丸/緑は二の丸)
登り口階段
本丸跡・城址碑
本丸跡・灯籠
堀切(この北に井戸)
堀切北の井戸
二の丸跡
持船城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 標高約70mの城山一帯は蜜柑畑が広がり、浅間神社[マップコード25 313 472*22](表記番地)西の道路を130mほど登ってゆくと右手に駐車場がある[マップコード25 313 529*74]。
そこから約70m先に標識のある登り口階段がある(地図)。
南北40m東西20mほどであり、城跡碑、説明板があり、用宗の市街や駿河湾が望める。観音堂があったが、昭和六十二年(1987年)に廃され灯籠二本のみ残っている。
灯籠の脇から降りると堀切があり転落防止のフェンスの中に古井戸がある。掘切の南西に二の丸跡があり蜜柑畑となっている。
東海道新幹線がトンネルで城山を抜け、背後は東名高速道路が新日本坂トンネルへと入る場所であり、現在でもまさしく交通の要衝である。
城から100mほどの場所にある用宗公民館前に、徳川家康に最初に攻められた際に討死した向井正重ら諸将を供養する「城山列士供養塔」がある。興津清見寺(静岡市清水区興津清見寺町418−1)に向井正重が祀られている。
【歴史】 天文年間(1532~55年)、今川氏の属将であった一宮元実によって築城され、駿河守備の重要な支城として重用されたと伝わる。
今川義元の妹婿である関口親永らが城主を務めた。しかし、桶狭間の戦い以降、今川氏が衰退すると、駿河国に侵攻した武田信玄によって攻められ奪われた。
武田氏城代として三浦義鏡、および武田水軍に招かれた向井正重らが入り、駿河湾に面しているため、水軍の城としての機能を持っていた。
新しく湊が作られ、現在のJR用宗駅付近が舟溜りとして使われたらしく、そのころ城名として「持船」の通称がついたといわれている。
天正七年(1579年)徳川家康の駿河侵攻により牧野康成らに攻められ、落城した。城代の三浦、向井らは揃って討死したが、翌年に武田勝頼によって再び奪い返されて再建し、朝比奈信置が城代となった。
天正十年(1592年)、甲州征伐によりまたも駿河に侵入した徳川家康により再攻撃を受け、降伏した。城代朝比奈信置は久能城に退き、この際に廃城とされたと伝わる。