富木城 (とぎじょう) (富来城・岡野城)
最寄地 石川県羽咋郡志賀町八幡5 2017.6.24 2018.6.15
富木城 (とぎじょう) (富来城・岡野城)
最寄地 石川県羽咋郡志賀町八幡5 2017.6.24 2018.6.15
町道横の登り坂
西側腰郭
北側の郭
南側の郭
富木城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 志賀町八幡の標高22mの丘陵にあり、北と南の2郭から構成されている。畑、果樹園として使用され、遺構はほとんど無い。
【案内】 表記番地東の町道横に入口がある[マップコード471 224 666*62](地図)。町道は広く路駐できる。
【歴史】 築城者、築城時期とも明らかではないが、岡野氏の居城とされる。
天正四年(1576年)上杉謙信は畠山氏の七尾城を攻めたがすぐに落城せず、手始めに黒滝城、熊木城、粟生城、米山城、富来城など能登の支城を落とし、家臣を配した。この時、富木城には藍浦(あいうら)長門が置かれた。
天正五年(1577年)三月、北条氏の北関東進出があり、謙信が一旦越後へ引き上げると能登の諸将が反撃に転じ、畠山の家臣・杉原和泉を総大将として富木城に攻め寄せ落城させ、藍浦長門は処刑された。
天正九年(1581年)織田信長の軍勢が能登を制圧すると福富行清が城主となった。