望月城 (もちづきじょう)
最寄地 長野県佐久市望月1730 2014.11.5
望月城 (もちづきじょう)
最寄地 長野県佐久市望月1730 2014.11.5
登城ルート(緑線は車道)
入口(左へ登る)
四の郭・奥が3郭方向
1番堀跡
三の郭
二の郭
二の郭・主郭切岸
主郭・城址碑
望月山城光院
望月城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 老人ホーム(表記番地)の北に標識があり、農道を100m程登った所に駐車スペースがある[マップコード85 344 758*38]。
農道の右側が四の郭、左側が五の郭で、畑地となっている。
畑地の西に竪堀が3本あり、その西に三の郭があり四阿が建てられている。上段に二の郭、腰曲輪、帯曲輪がある。
最上段に主郭があり、「望月城址」の碑や「望月の駒」の案内板が建てられている。虎口や土塁の痕跡が残る。折しも、紅葉の真っ盛りであった。
関連として西麓に、文明七年(1475年)、望月城主望月遠江守光恒の開基で、望月氏代々の菩提寺・城光院(佐久市望月1432)がある。
【歴史】 最初の築城は鎌倉時代頃であり、滋野氏の流れを汲む滋野三家の望月氏が本拠地として天神城として築城された。
建武二年(1335年)中先代の乱に際し、足利方の信濃守護・小笠原貞宗が経氏に命令し攻撃・落城したとあるが、望月氏は滅亡せず室町時代に新たに望月城として築城された。
天文十二年(1543年)に、武田信玄の猛攻によって陥落するが、望月氏が武田氏に臣従し城は存続した。
武田氏滅亡後、北条氏と一年も籠城戦を行い、大軍を動員していた北条方が兵糧等戦費の負担になり望月氏と和睦した。
天正十年(1582年)に徳川軍の依田信蕃(よだのぶしげ)によって佐久の諸城は攻略され、望月城も1ヶ月半の籠城戦の後に落城した。