上茜部城 (かみあかなべじょう)
最寄地 岐阜県岐阜市茜部本郷2丁目11 2014.12.10
上茜部城 (かみあかなべじょう)
最寄地 岐阜県岐阜市茜部本郷2丁目11 2014.12.10
国道157号線
案内板・石碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道21号線「茜部本郷」交差点を北に右折し、国道157号線(加納中通り)を250m行った左、バロー茜部本郷店(表記番地)駐車場の西向い歩道に面して、石碑と説明板が建てられている[マップコード28 495 537*00](地図)。
平成二年(1990年)8月に堀秀政四百年忌顕彰として建てられ、「上茜部城跡 堀秀政生誕之地」と刻まれている。周辺は市街地となり遺構は見当たらない。
【歴史】 近江国の出身といわれている堀資重により築城された。(時期不明。)
子孫の堀秀政は織田信長、豊富秀吉に仕えた。特に豊富秀吉の元で様々な武功をあげ、秀吉には無くてはならない人物となった。
しかし、天正十八年(1590年)小田原攻めの最中、陣中で病死した。秀吉は大変嘆いたという。秀吉は小田原を平定後、関八州を秀政に与える考えがあったようである。
廃城時期は不明であるが、堀秀政が天正九年(1581年)に長浜城城主、天正十三年(1585年)に北ノ庄城城主となっている事から、この頃には、廃城された可能性が高い。