小島城 (こじまじょう) (県の史跡)
最寄地 岐阜県飛騨市古川町太江2231 2014.6.16
小島城 (こじまじょう) (県の史跡)
最寄地 岐阜県飛騨市古川町太江2231 2014.6.16
登城ルート(緑線は車道)
林道入口のゲート
峠の道標
櫓台
案内図
東の郭・主郭切岸
主郭
主郭石垣
南西の曲輪 (主郭方向)
小島城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【案内・感想】 小島城は安峰山の西に伸びた古川町太江、杉崎、沼町にまたがる尾根の先端に築かれた中世の山城である。主郭は標高620m(麓より比高約130m)にある。
高山本線「杉崎駅」の北より東に右折し県道75号線を約1.4㎞行き、右折700mほど南西に行くと、林道入り口[マップコード 191 607142*73](地図)に鳥獣除けフェンスがあり、扉を開け閉めて1㎞ほど登ってゆくと、安峰山(東)方面との峠の三叉路(道標あり)になり、西へ約1㎞行くと、小島城跡の看板の建てられている駐車スペースに着く[マップコード191 576 760*63]。
少し登ると主郭があり、東に櫓台、西に主郭、桝形虎口がありその西に石垣が遺る。その南西に小曲輪、土塁、古城跡と並び北西に麓の「浄慶寺」付近の「杉崎口」に至る登山道がある。他に登山道として「太江口」、「沼町口」がある。
昭和三十四年(1959年)11月16日、岐阜県の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代中期、姉小路氏は飛騨国に領地があり、南北朝時代に入ると姉小路氏綱が、後醍醐天皇より飛騨国司に補任され、小島城に入ってこの地を治めたと云われる。
家綱の死後、姉小路家は小島、古川、向の三家に分れ、小島城は嫡流小島家の居城として8代、250年間続いた。
応永十八年(1411年)四代目国司・姉小路伊綱(まさつな)は古川盆地に足利幕府の軍勢を迎え戦ったが討死し、応仁の乱では小島家は東軍、古川・向家は西軍に属し、この地でも争乱が続いた。
時を経て南飛騨の三木氏の台頭により古川、向家は滅亡したが、三木氏に与した小島家は存続し、天正十年(1582年)小島時光は三木氏に加勢して江馬輝盛を討ち、高原諏訪城より大鐘、大般若経(太江の寿楽寺に現存)を奪い宮谷寺へ寄進した。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の命で金森長近が三木自綱討伐の際、小島城も攻められて落城し小島時光は討死し、姉小路一族は滅亡した。