天方本城 (あまがたもとじょう)
最寄地 静岡県周智郡森町大鳥居73 2014.12.7
天方本城 (あまがたもとじょう)
最寄地 静岡県周智郡森町大鳥居73 2014.12.7
登城ルート
案内板
茶畑・城跡遠景
堀切
主曲輪
腰曲輪
天方本城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【案内・感想】 町立天方幼稚園(表記番地)の南に案内板が建てられている[マップコード169 668 549*51]。
西にある八幡神社鳥居先より、北に約300m歩き送電線鉄塔の建つ茶畑北に登り口がある(地図: 細く坂の農道のため、徒歩が良い)。
途中に小さな標識がある。そこより一旦下ると堀切と思われる窪地があり、麓より比高約100mの山頂に、主郭跡があり、北西下段に腰郭がある。
【歴史】 応永年間 (1394~1428年)、山内対馬守道美が築城した。 十四世紀後半、飯田荘の地頭であった首藤山内氏から分かれた山内豊後守通秀が天方城に住して、天方(あまがた)氏を称した。
天方氏は、天方九カ村を支配し南周南一帯に勢力を伸ばしていた。数代を経た明応三年 (1494年)当主通季のとき、今川氏親は中遠の原氏討伐のため、伊勢新九郎盛時 (北条早雲) を大将とする大軍を進攻させてきた。
今川軍は中遠三郡である佐野郡、山名郡、周智郡(現在の掛川市、袋井市、森町周辺)を席捲し城主・通季は、今川氏に降った。
文亀元年 (1501年) 、遠江守護の斯波氏は信濃の小笠原氏と連合して今川氏に対する反撃の行動に出た。この時の戦場となったのが座王城 (久野城) と天方本城であった。
通季は斯波の大軍襲来の前に城を捨てて今川方に身を寄せた。その後、今川方の武将、本間宗季らと共に城を奪還した。
戦後、堅固な城の必要性を痛感した通季は城の南側に新たな城 (白山城) を築いた。その後、遠江は今川氏の支配するところとなり、平穏な時期が続いた。通季は道芬と号し、上京して和歌、連歌に興味を寄せたことでも知られている。