中島城 (なかしまじょう)
所在地 愛知県一宮市萩原町中島城趾 2014.12.11
中島城 (なかしまじょう)
所在地 愛知県一宮市萩原町中島城趾 2014.12.11
中嶋城址碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道14号線の「ガソリンスタンド」(一宮市萩原町東宮重中島方28)のある交差点より西へ約700m行った交差点北東角に城址碑がある[マップコード4 663 093*83](地図)。
その裏面に由来文『「尾張ノ豪族中島氏ノ城址ナリ 中島氏ハ嵯峨源氏ノ末流 平安末期コノ地ヲ領シテ勢アリ 城主ノ子滅宗 妙興寺ヲ創建スルヤ百町歩ヲ寄進ス 城ハ室町末期廃サレ 一族全国ニ散在ス」昭和四十一年三月 一宮市長』と刻まれている。
【歴史】 承久三年(1221年)六月五日に嵯峨源氏の流れをくむ中島氏が当地に土着したと伝えられる。 城主は中島左衛門尉宣長を名乗り、子孫は歴代中島蔵人とも号した。
戦国時代中期以降、近隣の斯波氏や織田氏(信長)などの勢力に所領を奪われ一時没落、一族は全国に四散した模様である。
落城後、中島氏は豊臣秀吉の家臣となり、中島式部少輔氏重(のち中島氏種)は大阪城に移り大坂七手組(ななてぐみ)頭に任じられた。