現城 (うつつじょう)
最寄地 長野県松本市会田3111 2020.10.25
現城 (うつつじょう)
最寄地 長野県松本市会田3111 2020.10.25
登城ルート
無量寺
回り込み左尾根へ
南西側堀切
2郭・主郭切岸
主郭
北東側の堀切
虚空蔵山遠景
現城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 虚空蔵山から南西に伸びる標高873.6mの尾根頂上に築かれている。
三角点のある主郭の南西側に2郭があり、南西側に深い堀切が見られる。
主郭の北東側に堀切が残り、そこから富士さながらの虚空蔵山が望める。
【案内】 南西麓にある無量寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード158 389 778*45]。
本堂西側尾根先にある墓地から登り、奥の歴代住職裏に薮がありやや右に回り込んで尾根を登る(地図)。
尾根は広く登りやすいが、帰路のため稜線を確認しながら登るとよい。
【歴史】 築城時期は不明だが、会田盆地を拠点とした会田氏により築城されたと云われる。虚空蔵山城として詰の峰ノ城、居住性の高い中ノ陣城、秋吉砦、物見的な現城などで構成されていた。
天文二十二年(1553年)、武田信玄の信濃侵攻の際、攻撃を受け放火され武田氏の家臣となった。
天正十年(1582年)松本城主・小笠原貞慶の攻撃により落城し、会田氏は滅亡した。
その後、小笠原氏と上杉氏の境目の城となり戦略上重要な城となった。