上野上村城 (うえのかみむらじょう) (上野城)
所在地 愛知県豊田市上郷町薮間17−1 2020.12.5
上野上村城 (うえのかみむらじょう) (上野城)
所在地 愛知県豊田市上郷町薮間17−1 2020.12.5
上郷区民会館
県道側の城址看板
榊原泰政生誕之地の碑
櫓台・説明板
説明板
櫓台上の神社
上郷護国神社
西側薮間公園から見た城跡
上野上村城跡((地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 上郷護国神社、上郷区民会館一帯が城跡で、櫓台や北側に土塁が見られる程度であった。
西側の薮間公園はもともと湿地帯で、東側の家下川に挟まれた微高地に築かれた平城であったようだ。
【案内】 県道239号線に面した「上郷区民会館」に駐車できる[マップコード30 016 837*06]。
西側の櫓台の所に、「榊原康政生誕之地」の碑が建てられ、縄張り図や説明板が建てられている。
【歴史】 応仁年間(1467~69年)伊勢貞親の被官であった戸田弾正左衛門宗光により築城されたと伝えられる。
文明七年(1475年)宗光は次男・家光を残して渥美郡大津に移り、田原城を築いて田原城主となった。その後、家光もほどなくして田原に移った。
明応二年(1493年)上野城に在った阿部孫次郎は寺部の鈴木氏、挙母の中條氏、八草の那須氏、伊保の三宅氏らと連合して松平親忠と井田野(岡崎市)で戦い、敗れて松平氏に服属した。
その後、上野城には松平内膳正信定・子清定が在城した。天文十四年(1545年)清定は松平広忠と戦い、翌年に降伏し桜井(安城市)に蟄居の身となり、代わって酒井将監忠尚が入城した。
永禄六年(1563年)三河一向一揆が起こると忠尚は一揆方に味方した為、隣松寺に本陣を敷いた徳川家康に攻められることになった。
永禄八年(1565年)一揆は鎮圧され、上野城は落城し忠尚は駿河に逃れた。
その後家康により上野七人衆と呼ばれる在番が置かれた。