久野城 (くのじょう) (座王城・鷲之巣城)
最寄地 静岡県袋井市鷲巣1285 2016.3.13
久野城 (くのじょう) (座王城・鷲之巣城)
最寄地 静岡県袋井市鷲巣1285 2016.3.13
案内板
北の郭
高見
二ノ丸跡
井戸
本丸跡
大手門前堀・橋
久野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 表記番地の南に駐車場が用意されている [マップコード169 336 624*77] (地図)。階段の右に「北の郭」があり、東に帯郭の土塁が残り、その先に「東の郭」がある。
そこより南に降ると、大手門跡、堀、橋がある。「南の郭」より登ると、半島状に突き出た「高見」の曲輪があり(地図)、その北に一段高く二の丸跡がある。本丸の下に鉄柵で囲われた井戸が残っている。そこを登ると、最高所の東西約30m南北約60mの本丸跡がある。
二の丸の西の下段に三の丸跡がある。城跡の西側と駐車場東に堀跡が確認できる。
城跡は樹木が刈られてよく整備され、全体の配置が良く分かり、眺望は抜群である。
昭和五十四年(1579年)10月1日、袋井市の史跡に指定された。
【歴史】 駿河国守護の今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、明応年間(1492~1501年)頃に久野宗隆により築かれたと考えられる。
宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てた。その後、子の元宗が継いだ。また、孫宗能は永禄十一年(1568年)徳川家康の旗下に入り、城主となり掛川城・高天神城攻撃、小牧長久手の戦いなどに戦功を立てた。
天正十八年(1590年)家康の関東移封に伴い宗能は下総に移封され、代わって松下之綱が丹波より移り城主となった。
その後、松下重綱、久野宗能(再任)、久野宗成、北条氏重に至るまで8代凡そ150年間の居城であったが、正保元年(1644年)に廃城となった。
『藩翰譜』に「当国第一の要害にして、たとい何万騎を差し向けても落つべくも見えず」と記されている。
今でも当時の井戸・空堀・土塁跡を残し、また城跡(しろあと)・東堀・西堀・北堀・高見などの地名によって当時が偲ばれる。『袋井市教育委員会説明板』より。