桃井城 (もものいじょう)
最寄地 長野県下伊那郡松川町生田2165 2016.1.10
桃井城 (もものいじょう)
最寄地 長野県下伊那郡松川町生田2165 2016.1.10
説明板
登城ルート(緑線は車道)
獣除けフエンス扉
城跡碑・城跡標柱
空堀
主郭・祠
土塁・部奈建神社
主郭・土塁・説明板
桃井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内】 県道18号線の天竜川を渡った「小澁第二発電所」南より左折し登ってゆくと、視界が開け台地上の集落がある。
発電所上部取水設備横より約300m東に行くと、道路左に案内標識がある。60mほど先を左折して行った、表記番地の南に駐車場スペースがある[マップコード143 352 268*10] 。
獣除けフエンスが設けられ、開け閉めて行くとすぐ、「桃井城跡」の石碑、碑が建てられている。
長さ40m余、深さ6~7m規模の空堀があり、東辺の土塁が残る主郭がある。部奈建神社と祠3基が祀られ、説明板が建てられている。
主郭は非常に狭いが、長年の崩落を繰り返し西側は失われている。井戸跡5分の標識があるが、見つからなかった。
松川町の史跡に指定されている。
【歴史】 桃井城について、史料は少なく、築城者・存続期間等確かなことは判っていない。
南北朝時代初期、桃井城の東方山中の大河原城(現大鹿村)に後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王が伊那郡の豪族香坂高宗(滋野氏の支流望月氏の一族)に招かれ、東国南朝方の精神的支柱として籠った。大河原を防衛するため、南朝方が築いた城砦の一つが桃井城で、親王を警護する桃井氏あるいはその一族が居城したと伝えられている。
【部奈建神社】 下清内路「建神社」の由緒に記された「お建さま」は桃井城主の娘で、後醍醐天皇の娘の厳子内親王に仕え、都から厳子内親王の避難させる途中、下清内路山中で北朝方に捕えられ、飯田に於いて火あぶりの刑に処せられたと伝えられている。
一時、厳子内親王と「お建さま」が隠れ住んだ下清内路では、火あぶりの刑に処せられたお建さまの霊を慰め、火伏の神として祀られている。
平成19年3月、縁あって下清内路建神社より分祀が叶い、お建さまの故郷と伝えられる桃井城の地に「部奈建神社」が造営された。『松川町教育委員会説明板』より。