安楽寺城 (あんらくじじょう)
最寄地 富山県小矢部市安楽寺2035 2014.10.25
安楽寺城 (あんらくじじょう)
最寄地 富山県小矢部市安楽寺2035 2014.10.25
登城ルート
源平トンネル・登り口
鉄塔の平坦地
主郭・虎口・土塁・説明板
説明板
主郭虎口・土塁
主郭跡
横堀
井戸跡
安楽寺城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【案内・感想】 表記番地のオートレストランより国道8号線バイパスを富山方面に300mほど行くと、「源平トンネル」手前に広い駐車スペースがある[マップコード 122 610 709*3 ](地図)。
その東に安楽寺城跡入口の標識がある。400mほど登ると北陸電力㈱の鉄塔の平坦地に出、鉄塔の下を南に隈笹の道を登り、下って再度登ると、標高172m比高約100mにある城跡である。源平トンネルの上に位置する。
堀切があり、なだらかな最高所の主郭は南北約50m、東西約40mである。虎口、土塁が残り、案内板が立てられ、横堀がある。主郭の東下段に二ヶ所井戸跡の窪地がある。
【歴史】 応安二年(1369年)土豪高橋與次衛門が居住していた『法信寺由緒』(城跡説明板)。築城年代は戦国時代前期とみられる。
天文年間(1532~55年)城主高橋与(與)十郎則秋が拠っていたが、木舟城主石黒左近将監に攻められて野寺村(現小矢部市野寺)で討死したという『越中志徴』。
なお、安楽寺城から野寺村へは南東に2㎞、石黒氏が拠った木舟城は東方、守護代であった遊佐氏が離れて一向一揆勢力と組み、石黒氏と争っていたとみられる蓮沼城は南方にある。安楽寺城の虎口は西側にあり、そこから攻め込まれたとすれば加賀方面へと逃げるのは困難であって、高橋与十郎則秋がどこへ逃げようとしていたのかは不明である。
その後に松岡新左衛門が拠り、その後久兵衛(姓は不明)が拠ったとされる『越中志徴』。
彼らの素性については不明である。松岡新左衛門は北西にあった道坪野城の主としても名が残っている。
その後天正年間(1573~92年)後期に佐々成政と前田利家との攻防戦において兵が入った可能性はあるが、改修を施された形跡はない。江戸時代には既に放棄され荒れ果てていたとされる。