柳津城 (やないづじょう)
所在地 岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目17 2014.11.25
柳津城 (やないづじょう)
所在地 岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目17 2014.11.25
光澤寺
由緒碑・説明板
説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道154号線「宮東」交差点より、南に130m行き、右折して行くと光澤寺(表記番地)がある[マップコード28 404 605*82]。
南側山門の前方に「柳津城趾」説明板、「聖徳山光澤寺由緒」の石碑文が建てられている(地図)。
戦国時代には木曽川の本流は今の境川辺りを流れ大小の城があった。
【歴史】 築城時期は文亀年間(1501~04年)といわれている。城主の竹腰摂津守は斎藤氏に仕えていたが、弘治二年(1556年)長良川の戦いで戦死し、その後叔父の成吉摂津守尚光が城主となった。
尚光(のちに竹腰尚光に改名)も斉藤義龍の武将、その後龍興の重臣として仕えた。
戦国時代、この地は尾張国であったが、斎藤氏の勢力下であり、斎藤氏と織田氏の戦いの最前線であった。旧柳津村の地名には、一ヶ城、七ヶ城という地名が残っていたが、これは柳津城の出城や砦があった場所といわれている。